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(11・3・6)西区久米信雄市議候補事務所開き、城北・広沢・中央街頭宣伝
福祉を削る行革審とたたかえるのは久米信雄さんしかいない
今日の午前中は西区の久米信雄市議候補の事務所開きに党を代表してあいさつをおこないました。
私はいっせい地方選挙で7つの区に1人の県議候補と、8人の市議候補を立て、後半戦の湖西市議候補の荻野利明候補を含め、全員当選をめざし頑張ること。 日本共産党の住民アンケートには「年金では生活できない」「仕事がなくなりパートやアルバイトに出ざるをえず、業者が業者でなくなる」「民主も自民ももうだめで、政治は信用できない」など多くのみなさんから悲痛な叫び声や怒りの声がたくさん寄せられていること。そうした声にいかに応えるのかが政治に求められていること。 政権交代し1年半たちましたが、結局、財界から企業団体献金をもらう政党や政治家では政治を良くすることはできないこと。日本共産党を伸ばして暮らしを応援する市政をつくろうと訴えました。
久米信雄さんは@舞阪町議の時代には毎議会ごとに「舞阪民法」を発行し、議会のガラス張りを実現Aスズキのサービス残業では粘り強く追及し7千万円支払わせたことB市民の暮らし・福祉を削る行革審の後ろにはスズキの会長の鈴木修氏がおり、この市政とたたかえる候補者は久米信雄候補しかいないことを訴えました。
細々と商売をやっている人たちの声をしっかり代弁
地元の八百屋の女将さんは「久米さんが舞阪町議になって議会のことが良くわかるようになったこと。私たちのような細々と商売をやっている、人たちの声をしっかり代弁してくれる久米さんに期待します。久米さんもちょっと歳をとったかなと思うけどぜひ、頑張ってください」と温かいあいさつをしてくださいました。
「大船に乗ったつもりで・・・」
また、女性後援会の元雄踏町議の大村悦子さんは、「スズキの門前宣伝での仲間であること。スズキの思想差別の中でもそれにめげず門前で訴え、その後、私は家に戻るけど久米さんは職場に入っていきます。どんな気持ちで職場に通ったのか。そんな中でも頑張ってきた久米さん。私たち女性後援会も少しとうが立ちましたが、度胸もつきました。大船に乗ったつもりで・・・」などユーモアを交えた温かなあいさつが続きました。
久米信雄さんは試されずみの候補者
職場の同僚の太田泰久さんからは、スズキの思想裁判やサービス残業などのたたかい、舞阪町議としての活動でも試されずみの候補者であること。いま浜松市政は、スズキの社長兼会長の鈴木修氏が行革審の会長として福祉切り捨ての市政を行っており、財政も十分な財源がありそれを活用すれば元気な浜松市をつくることができることを訴えました。
三つの政策を訴えました
久米候補は自分が舞阪町議になったのは1995年の阪神淡路の大震災の後であり、その時のボランティアの体験から、命と暮らしを守ることをかかげ頑張ってきたこと。また、スズキの思想差別やサービス残業のたたかいにも全力で取り組んできたこと。こうした経験を生かし、今回のいっせい地方選挙では国保料・介護保険料の引き下げA住宅リフォーム助成制度をつくることB子どもの医療費の無料化を訴え、必ず議席を獲得するために頑張る決意を表明しました。
5人が顔を出してくれ最後まで聞いてくれ拍手
午後は地元城北、広沢、中央地域の街頭宣伝をおこないました。特に中沢の地域のひとつでは、5人が顔を出してくれ最後まで聞いてくれ拍手をしてくれました。これまで国政選挙でも殆ど候補者カーや政党カーでの街頭宣伝をやったことのない地域なので、初めて自分たちの思いを代弁してくれる候補者の話に共感して出てきてくれたのでしょう。60代以降の人たちでしたが、明るく元気な人たちばかりでした。大いに元気をもらいました。今日は11ヶ所で宣伝をおこないました。
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