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(08・11・21)浜名酪農業協同組合長との懇談、浜松市浜北区街宣、浜松市天竜区春野街宣、春野森林組合との懇談
全国一活気ある酪農組合
今日の午前中は、浜名酪農業協同組合長との懇談をおこないました。伊藤光男組合長は、現在の世界の農業の実態について「原油の高騰でエタノール燃料をつくるようになり、米国のトウモロコシ農家は2倍から2・5倍に増えこぞってトウモロコシをつくっている。オレンジからトウモロコシに切り替え、人間の食べるものが燃料になっている。小麦の耕作面積も減り、何もかも値上がりしている」ことなどを語りました。
畜産についても大打撃を受け、3割以上の人は赤字経営になっており、あと半年ほどでどの位やめるかという状況になっています。通常、年間4%は廃業しているが、今は平均8%が廃業しています。全国の酪農家は1万8000軒あるのでかなりの軒数が廃業していることになります。 浜名酪農業協同組合の管内では58軒あり廃業率は5%くらいなので、年2、3軒辞める人がでるそうです。
浜名酪農業協同組合は、全国的にも注目を集めるコントラクター事業をおこない、この間、テレビや新聞・雑誌の取材を受けて有名になりました。 同事業は、@畜産農家が処理に困っている牛の堆肥を、遊休農地に投入し農地を耕し、そこにトウモロコシを栽培することにより、周りから堆肥の苦情が出なくなった。Aエサ工場もつくり、畑でつくったトウモロコシと食物残渣も使い栄養士がバランスの良いエサをつくっている。そのことにより病気も少なくなり乳量も増えた。B農家の経営が良くなるようにコンサルタントを配置し相談にのっているそうです。これらを一体のものとして進めているところに事業として成り立つポイントがあるとのことでした。
特に力を入れているのは、遊休農地対策に7人配置し、借り上げ専門に2人を配置し、いかに遊休農地を借り上げるかに努力をしています。遊休農地があっても地権者が誰かは、個人情報のため市役所では教えてくれず、5〜6町歩の土地があっても地権者は70人くらいある場合が多いので、それを調べ、連絡をし、説明会を開くまでには半年ほどもかかります。まるで不動産屋のようなしごとになりますが、そうして遊休農地でトウモロコシをつくることができるわけです。そうした活動が実を結び、2人の担当者が全国中央会の研修会に講師として招かれることになりました。
組合長は「農地は10a当たり、年間3回草取りをしなければならず、それだけでも3万円かかります。1haもあれば年間30万円にもなります。それが出来ないために荒れ放題になるのです。それを『10年間ただで農地を貸してください。その代わり草を刈り管理します』と農地を借り受けています。荒れ放題の農地がトウモロコシ畑になり花が咲くようになると散歩コースにもなり地域のみなさんにも喜ばれ、やりがいのある仕事です」ときっぱりと語っていました。
浜北区の小松の街宣
懇談後は浜北区の小松の静銀前の交差点で街頭から訴えをおこないました。
春野の山々も素晴らしい
午後は、天竜区春野の街頭宣伝に行きました。何年ぶりかで春野のなつかしい道路を通ると新しい道路が出来ていて景色も変わっていましたが、しかし、山の自然は素晴らしいものです。
天竜区春野の犬居(いぬい)で街宣
天竜区春野の犬居(いぬい)で街宣をおこない、周辺のみなさんとあいさつすると、いまの麻生首相の給付金の問題や自動車業界の派遣切り問題などが大きな話題となりました。「共産党には頑張ってもらいたい」と激励をいただきました。
1次産業の林業への支援を
その後、春野森林組合の岡本均組合長と日本共産党の「緊急経済提言」で懇談をおこないました。 懇談では、かつては安い外材が入ってきて国産材がぜんぜん売れないということもあったが、最近では外材のほうが高くなり、国産材が見直されてきていること。春野森林組合は新たな雇用制度をつくり一般企業にも習い10年間で24〜25人増え全体で50人ほどになったそうです。 浜松市は人口80万人の政令市になりましたが、面積の68%は森林であり、1次産業が立ち行かないようなことでは地域が荒れるので、もっと根本的に1次産業への支援をすべきと、日本共産党の「緊急経済提言」とも相通じる議論になりました。
樹齢100年の見事な柱
その後、春野自治センターを見学しました。この建物は地元の杉などをつかって建てられたもので、内外の太い杉の柱は100年ほどの柱で見事なものです。杉の香りがして実に気持ちの良い建物でした。 しかし、浜松市は行革で自治センターの機能をもっと引き下げていく計画です。自治センターで用が足りなければ、天竜区の区役所へ、そこでもだめなら浜松市役所本庁へというように、ますます合併により不便さが大きくなっていくようです。こうした動きも跳ね返していかねばなりません。
素敵なバス停
すぐそばにバス停がありましたが、ここも地元の杉で作った素敵なバス停でした。
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