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(08・8・6)ハンセン駿河療養所自治会、御殿場市、駿河療養所との懇談
ハンセン病療養所を定員削減の対象から外してほしい
今日の午前中は、駿河療養所自治会との懇談です。療養所の患者のみなさんの要望や駿河療養所の将来構想についての意見などを聞かせていただきたいと懇談しました。 自治会長の小鹿さんたちは、「国は私達患者に対して『最後の一人まで見ます』と言いながら、どんどん職員の削減をやっている。10年働けば定員職員になれたが、40人いる賃金職員も定員職員になれず、賃金職員を募集しても応募者はいない」「賃金職員は1日8時間働き6400円、時間給は800円。日給月給で、病気で休めば収入減となる。3月31日は首を切られ、1日休みになる」「夏休みもなく、土日に働いても超勤扱いにせず、代休をとらせる指導をしている」「休みたいが人が少ないため、早出で2時間仕事をさせ、その後6時間の時間休をとらせている」ことなどが語られ、ハンセン病療養所を定員削減の対象から外してほしいことなどが出されました。 また、駿河療養所の将来構想については、「大きな壁にぶつかり見通しが立たない。これだけ職員が減らされ建物も点在していると手が回らない。入所者をある程度一ヵ所にまとまらないといけないのでは」「自分のところで在宅医療を受けられるのが一番良い。そのためにも人を増やしてほしい」「正直言って我々の頭では考えつかないが、明日、あさっての要求と5年先の将来の両方がある。入所者の将来は安心して居ることができるよう両建てでやる必要がある」「国は入所者のほうから『大きい施設に入れて欲しい』と言うのを待っているのではないか。ある程度の年齢の人は『このままで良いよ』という人もいる。20年前の住宅で、この夏の暑い日は大変。目が悪いと夜と昼を間違える。夜中に大声を上げる人もいる」「認知症の人もいるが、ごちゃ混ぜになっている。建物も別にしていく必要がある」ことなどが出されました。 そうした意見に対し瀬古由起子さんをはじめ私たちは、3、4ヶ月に1回の割合で将来構想の会議をおこなっているが、たたき台もないこと。入所者にもう1回要望を聞く作業から始めなければいけないこと。ソーシャルワーカーなど要求を聞く人を含め、ワーキングチームをつくり10人くらい必要ならその予算は国に要求すること。仕事は具体的に進めていかなければいけないこと。偉い人ばかり集めてもしょうがないこと。入所者も高齢化していて時間がないため、国が採用し2年間なら2年間でたたき台をつくり、早くレールに乗せていかねばならないことなどを提起しました。 また、入所者も高齢化し介護が必要になっており、認知症の患者もいることから、施設内に介護施設(国立の)をつくることも必要であることなどを指摘し、それは普通の民家を1つ建てれば対応できることなどを話し合いました。
「今日は大変参考になりました」
午後からの御殿場市の鈴木秀一副市長との懇談には、高木理文、厚見道代両御殿場市議も参加しました。懇談では駿河療養所の将来構想について話し合いました。副市長は「入所者も高齢化し、年々少なくなってきていること。意見を聞きながら将来あるべき姿を立ち上げていきたいこと。これまで2回の会合をおこなったが、まだ緒についたばかりであること。本来どうするかは国が考えるべきこと」「駿河療養所は国の施設なので市があれこれ言うのは遠慮がある」「どこまで踏み込んだらいいのか」などの率直な意見も出されました。 私達が「ワーキングチームをつくり専門家も入ってもらい、費用は国に出させてたたき台を作ってもらう」「国は立ち枯れ作戦で、もしかしたら売ってしまうかもしれないこと。13の療養所の中で、駿河療養所で突破口を開いてほしい」ことなどを要請しました。 鈴木秀一副市長は「国へ調査を要求することは考えていなかった」「今日は大変参考になりました」など率直な意見交換になりました。
前田光美駿河療養所所長との懇談
さらに夕方からは前田光美駿河療養所所長、田中恵子総看護師長らと療養所の将来構想について、療養所自治会、御殿場市との懇談の中で出されたことなどを紹介しながら懇談しました。
胎児の記念碑がつくられました
その後、療養所内の施設を見学しました。 7年前の2001年12月に訪問した時に、堕胎させられたホルマリン漬けの乳児を見ました。私の小指の爪ほどの小さな手に、ちゃんと細かな指もしっかり見えました。「何の罪もないのに堕胎させられて・・・」と胸が痛くなった覚えがあります。その小さな赤ちゃんも「昨年、私が服を着せて埋葬しました」と田中恵子総看護師長が説明してくださいました。納骨堂のそばに新しい記念碑がつくら、用意されていたお線香をあげて礼拝しました。
富士山
その後、施設内を回りながら富士山がちょうど見えたので写真に収めました。
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