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(06・10・28)沢田二郎さんのお葬式
「らい予防法」で生きた60年の苦闘
今日は御殿場の駿河療養所に入所していた沢田二郎さんが亡くなられて、その葬儀に参加しました。朝8時15分からの葬儀でしたので、浜松を6時17分のこだまに乗り込み何とか間に合いました。 沢田さんは西村時夫さん達とともにハンセン病の裁判をたたかってきた人です。自らのハンセン病の闘いの生涯を書いた「『らい予防法』で生きた60年の苦闘」3部作(2部、3部は失明のため口述筆記)の本が完結したあと亡くなられました。ハンセン病だけでなく肺がんなどに体は冒されていて、本が完結できるかどうか回りの人たちははらはらしていたそうですが、みごと和田久子さんたちの協力で完結にこぎつけました。
社会から一切の差別と偏見をなくすために
友人葬でしたので、杉田保雄前東部地区委員長が最初に挨拶しました。沢田さんの遺志をついで、また、来年のいっせい地方選、参議院選挙に全力で奮闘する決意がのべられました。
真っ赤な党旗に包まれて
沢田さんは、杉田前地区委員長に「私が死んだら日本共産党の党旗で包んでほしい」と言っていたそうです。真っ赤な党旗に包まれて多くの友人に見送られる沢田さんは、微笑んでいるようでした。心からのご冥福をお祈りいたします。
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